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北国分から矢切へ ガイドマップへ
市川北部でいちばん新しいまち北国分一帯には、
むかし、縄文人の生活があった。
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月刊いちかわのエピック
北総・公団線 北国分駅

 北国分駅の開業は、平成3年3月31日。当時は駅周辺の区画整理事業が始まったばかりで、駅は畑の中にポツンとたっていた。それからわずか10年でかつて権現原とよばれたこの地に25ヘクタールの事業が完成し、今では見違えるような町並みが現れた。春には可憐な白い花をつけるハナミズキやツツジの街路樹が美しい。駅南側ロータリーの区画整理記念碑には、事業概要を記した碑文と、縄文土器を掲げた女性のブロンズ像「縄文の賦(うた)」(久保田俶通作)がある。
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伊弉諾(いざなぎ)神社と道標

 北国分駅から東に100メートルほど行ったところ、道が二股にわかれる分岐点の右側にある伊弉諾神社入り口の道標は、文化6年(1809)に建てられたもので、「西 松戸 東 堀之内 南 国分寺 北大はし道」とあり、側面に青面金剛、その下には三猿を彫った庚申塔だ。庶民の足の便が歩くことのみだった頃、道標は大切な存在だったのだろう。伊弉諾神社はかつて権現さまとよばれこの地域の氏神さまだったが、明治の初め頃の神仏分離で祭神が伊弉諾命になり、神社名も改められた。境内に高くそびえるハリギリは、幹周り2・6メートル、高さ20メートルの巨木で、千葉県下では最大級のもの。市川市指定天然記念物。
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堀之内・石井家の弁天さま

  むかし、むかし。堀之内城とよばれたお城があった頃のこと。
  戦いに敗れた城主のお姫さまは、城の近くで命果て、その屍は敵方によって山の上から谷間の低地に投げ込まれました。奥方は燃える城からのがれましたが、逃げおおすこともできず、近くの池に身を投じたということです。
  堀之内の石井重太郎氏の先祖は鎌倉時代の初め、国分の地を領した国分氏の一族の一人で、その奥方の霊を祀った弁天さまを氏神として祀っている。
  伊弉諾神社を出て右の道を行くとバス通りにでる。市川方向に向かって400メートルほど、博物館入り口バス停の次の角を左に曲がると、弁天さまの鳥居がある。鳥居をくぐって右手、奥方が入水したという弁天池。どんな時にもかれることがなく、今も水が湧き続けている。弁天社の脇に祀られた姫宮は、以前、博物館近くの高台に祀られていたが、昭和27年の道路改修工事の際に、「弁天様とは親子だから一緒にお祀りしよう」とここに移された。
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堀之内貝塚

 弁天さまから西に500メートルほど行くと左手に歴史博物館が見えてくる。この一帯は今から4000〜2000年前の縄文時代後期の貝塚で、ハマグリを主とした30種類をこす貝類が発見されている。長径225メートル、短径120メートルにおよぶ馬蹄形貝塚で国指定史跡。
  貝塚内を歩くと貝片があちこちに見られ、古代へのロマンを誘う。貝塚の真中辺りにある駒形神社は、堀之内の古い殿様の愛馬が戦死した場所という。
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考古博物館と歴史博物館

  堀之内貝塚に隣接する考古博物館は、人間が日本列島に住むようになってから、先土器、縄文、弥生、古墳時代を経て、古代律令国家が形成されるまでを、市川を中心にしながら展示してある。一方、歴史博物館は中世から現在までの市川の歴史を展示、中世以降の市川の人々の生活を見ることができる。共に常設展示の他、企画展、各種の講座・体験学習・見学会など、いろいろな行事が実施されている。また、博物館をより楽しく利用できる博物館友の会があり、土器を作り、煮沸実験をかねた芋煮会や石碑などの拓本をとる体験学習や見学会など活発な活動を行っている。入会問い合わせは考古博物館1373・2202へ。(両博物館共、、開館時間は9:00〜16:30、月曜日。祝日・年末年始休館)
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駒形の石仏たち

  博物館を出て右に行くと家並みの向こうはもう東京外郭環状道路の予定地で、緑のフェンスが広がっている。そのフェンスの手前の畑の中にブロック塀に囲まれた駒形墓地があり、その墓地のつき当たりに三体、石の仏が並んでいる。いずれも江戸時代前期のもので、中央の延命地蔵が一番古く寛文6年(1666)、左の如意輪観音が宝永元年(1704)、右の青面金剛が宝永2年(1705)の建立。わずか40年ほどの間に三体造立されていて、この辺りの村人の信仰の篤さをうかがえる。
  さて、駒形の地名は東京台東区の駒形をはじめ各地にあるが、駒形どぜうで有名なこの地名は、浅草寺の南方、駒形橋たもとの「馬頭観音」を本尊とする駒形堂に由来する。
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堀之内南遺跡

  緑のフェンスで囲まれた博物館の南の低地は道免き(どうめき)谷津と呼ばれ、古くから水田となっていた。この遺跡が外環道路ルート上にあるため予備調査が行われ、縄文前期から晩期にかけての土器、石器、植物・動物性遺物など300箱におよぶ出土品があった。同遺跡が縄文前期においては南に位置する上台貝塚を中心とした集落の、縄文後期から晩期においては隣接した堀之内貝塚を中心とした集落のさまざまな生活活動に深くかかわった場として利用されていたと見られている。
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小塚山市民の森

  東西200メートル、南北150メートルの樹木に囲まれた静かな公園、夏はカブトムシやセミ、秋にはどんぐり拾いを楽しめる自然のままの公園だ。また、この周辺は弥生式土器が多数出土したことでも知られる弥生遺跡。
  この森の一部も東京外郭道路予定地となっている。毎年5月には、この森の緑をいつまでも残したい、という思いを込めて市民の手による森の音楽会が開かれている。この自然と爽やかな空気をいつまでも味わいたいものだ。
  近くの愛宕神社(北国分1・12)には、樹齢350年前後、高さ20メートル以上もある2本の大イチョウ(市指定天然記念物)が、禅照庵(北国分4・13)のマキ(市指定天然記念物)も見事。
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フィールドアスレチック
 
  市民の森に隣接してあるフィールドアスレチックは、1時間もあれば十分楽しめそう。小さな子供連れや近所の子供たちが爽やかな汗を流している。(雨の日、年末年始は休み)
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じゅん菜池緑地公園

  国分台地と国府台の間に入れ込んだ谷津の奥にあるこの公園は、むかし、スイレン科の多年生水草ジュンサイがたくさん生えていたので「じゅん菜池」と呼ばれていた。戦後溜池や水田になっていたが、今は池を囲んで遊歩道が整備され、散策やジョギングなど、市民の憩いの場所となっている。

 冬期には数種のカモたちが羽を休めにやって来る野鳥の楽園だ。
  2月から3月初めは梅の見頃。毎年3月初旬の日曜日に「梅まつり」が開かれ、茶店や模擬店が出て多くの人でにぎわう。公園北側の池では、〈じゅん菜池にじゅん菜を残そう市民の会〉の会員たちの手で、ジュンサイ、オニバス、コウホネなど約10種の、今では貴重な水性植物が実験栽培されている。また、絶滅危惧種のイノカシラフラスコモも生息が確認されている。毎月第3日曜日の10時〜15時頃まで、水性植物を見る会が開かれている。
  じゅん菜池のいちばん奥の高台にある式場病院の南斜面を利用したバラ園では、季節になると赤、ピンク、黄、白と色とりどりのバラの花が咲き競い、人々の目を楽しませてくれる。
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野菊の墓と矢切の渡し

  北総線矢切駅から下矢切バス停先、大型酒店の角を左に行くと、庚申塚碑がある。これは地元の庚申塚保存会が、目立たないところに倒れそうになっていた石仏を集め建て直したもの。ここから道なりにゆるい坂を登ると右手の高台が野菊苑という小さな公園だ。ここからの眺めは最高。眼下から江戸川までは田畑が続き、川の向こうは葛飾柴又、さらに秩父の山々、富士山までも望める。野菊苑から陸橋を渡ると西蓮寺の裏手にある伊藤左千夫の小説『野菊の墓文学碑』にであう。高台を下り、田畑をぬけて河川敷ゴルフ場を左右に見ながら15分くらい歩くと柴又に渡る矢切の渡しだ。

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