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北国分から矢切へ ガイドマップへ
JR下総中山駅をおりて法華経寺参道を歩くと
気分はもうレトロ。
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月刊いちかわのエピック
オオムが鳴いて歓迎

 JR下総中山駅北口におりるとそこは中山法華経寺参道の入口。ふだん鉄筋コンクリート造りの建物ばかりを見慣れた眼には、参道商店街のたたずまいがやさしく映る。
 タクシーたまりをぬけてすすむと、「キーッ」と鳴いて歓迎してくれる。これは小鳥屋さんの看板娘(ひょっとするとオスかも)のおおきなオオム。これも中山名物のひとつである。その数軒さきの道路端にあるのがなんと幹ばかりになった枯れ木の大木が一本。これは名物というより中山七不思議のひとつといったほうがいいかも知れない。
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黒門・赤門

 古来寺町にはおいしい和菓子屋さんがそろっているときまったものだが、この参道にもある。小鳥屋さんのとなりは煎餅ずきにはこたえられない「味好屋」。菓子屋さんはおいおい紹介するとして、まず国道14号を横断する。そしてさらに並行する京成線の踏切をこえると前方に大きな山門がそびえているのが眼にはいる。ここまでJR下総中山駅から歩いて5分くらいのもの。この踏切脇は京成中山駅である。中山散策に来るのに京成線利用もよいのだが、この駅には鈍行普通電車しか止まらないのが玉にキズ。この門は法華経寺第一の門で正しくは法華経寺総門、でもその色合いから通称黒門でとおっている。
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参道の商店街

 さて、黒門の下に立つと前方に赤門と呼ばれる第二の門が見えてくる。ここらあたりから参道はやや登りかげんになるがたいしたことはない。
 道の両側には花屋、仏具店、和菓子屋、蕎麦屋、寿司屋などが軒をつらねている。
 あれあれ、ここにも小鳥屋さんがある。古い寺町だからかつて放生会(法要のとき供養を願って魚や小鳥を放すならわし)のために必要だったのかもしれない。
 さて黒門の両脇にあるのが「松月堂」と「とむら」の二軒の和菓子屋さん。それぞれ個性のある菓子づくりで知られる中山の銘店である。
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清華園

 右手に和風の家屋があり市川市役所市民課の看板がかかっている。住民票や戸籍事務をあつかう市川市役所の分室である。一見役所の建物には見えない参道の雰囲気にあわせたしゃれた建物である。そのとなりの門構えの家と庭園が「清華園」である。これは中山の旧家・石井家から市川市に寄贈された和風民家と庭園で、敷地は400坪あまり。きれいに手入れされた庭は毎日朝9時から夜9時まで開園している。
 さて、参道を進むと巨大な赤門の前につく。この手前を左にいった突き当たりが安房神社である。ひときわそびえる銀杏の大木は秋の黄葉どきがたのしみである。
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法華経寺境内

 赤門をくぐると中山法華経寺境内でサクラ、ヒマラヤ杉の巨木の並木道となる。両側には塔頭(たっちゅう・法華経寺の支院)が並ぶ。その一寺、遠寿院は本寺・法華経寺と並んで晩秋から厳冬にかけて行われる百日荒行道場として全国に知られている。その時期、読経と太鼓の音に境内はつつまれ、ひときわ身がひきしまる思いがする。
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茶店で一献

 参道がつきると龍淵橋という小さな鉄橋があり、サクラの植わった境内にでる。橋のたもとには茶店が並び、そこで名物のコンニャク田楽や里芋のキヌカツギでお茶をすするのもよし、一献かたむけるのもよいだろう。龍淵橋にとりつけてある欄干の擬宝珠のデザインはちょっと変わっていて果物のザクロになっている。釈迦と鬼子母神の説話に由来しているのだろう。境内には鬼子母神堂がある。子育ての信心にはここへのお参りがなによりである。手前の酒店では法華経寺の風景を描いた木版画の絵はがきを売っている。みやげには手頃である。
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境内の諸堂

 境内には五重塔、祖師堂、本堂をはじめとして寺社建築の粋が見学できる。でも境内は広いのであらかじめ龍淵橋の脇にあるおおきな案内板で境内諸堂の配置を確認しておくとよい。
 ひときわ立派で荘厳なのは数年前に改修工事をおえた祖師堂である。堂は国の重要文化財に指定されており、屋根は比翼入母屋づくりで、現在この様式の屋根は丹後・吉備津社とこの祖師堂だけだという貴重なものである。屋根の優美な曲線、内陣・外陣のしつらえも古式に復元してあり、見るからに壮麗な建物である。
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大仏・駒形堂・泣き銀杏

 青銅の大仏座像があるのも市川ではここだけだろう。江戸時代初期の建築という朱色の五重塔もうっそうとした木立ちに照り映えて美しい。塔の手前に寄進された絵馬を収めた駒形堂がある。ややハトのいたずらでよごれているのはいささか残念だが、汽船の図柄のもの、たくさんの銅貨を張りつけたものなどその由来に興味をそそられるものがある。駒形堂のうしろの道をへだてた向かいにそびえる銀杏の巨木が泣き銀杏である。法華経寺開祖の日常上人の死を悲しんで日頂上人がこの木のもとで泣き明かしたという伝説がある。
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銅像ふたつ
 
 駒形堂前にあるのが台湾の蒋介石元総統の像である。また境内の墓地入口の近くに頭山満の像もある。ともに近代日本の歴史におおきな関わりのある人物だが、法華経寺との関わりについてはよくわからない。中山七不思議のひとつといってよいかもしれない。
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本阿弥光悦の書と墓

  本阿弥光悦といえば江戸時代のマルチ芸術家として有名だが、赤門の扁額の「正本山」、祖師堂の「祖師堂」、法華堂の「妙法花経寺」の題字は光悦の書であるという。また境内墓地の一角には光悦の分骨墓がある。
 法華経寺には文化財級の建物や事物が多い。国宝として知られる日蓮聖人の自筆「立正安国論」もこの寺に所蔵されている。
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サクラ

 境内に本数はさまで多くないがサクラがある。祖師堂前には古木がととのった樹型を見せ、落ち着いた雰囲気をかもしている。春雨にけぶるサクラの花の風情もまた捨てがたい。

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国道にそって

 中山のこの界隈は市川市と船橋市とが複雑に入り組んでいて、町名も市川市は中山、船橋市は本中山とまぎらわしいが、散策者にとっては別に何の不都合もないからまあどうでもよいだろう。国道と参道との交差点を東に行くとすぐ右手にギャラリー「樹(たつき)」がある。個展やちょっとした団体展にかっこうのスペースである。
 またつくだ煮の銘店「はまや」がある。
 国道の向かいになんと珍しい野球の博物館。「財団法人吉澤野球資料保存館」がそれである。野球ファンには一見の価値がありそうだが、開館日が不定なのであらかじめ確認しておくほうがよい。(1334]3675)
 野球博物館のとなりは船橋市西部公民館でその脇にあるのが洋食の店「はせ川」である。
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中山文化村

 さて、参道につづく五重塔の脇道は通称オケラ街道。中山競馬でポケットマネーを使い果たした面々が帰途につく道だからだというもっともらしいいわくのある道筋だがこの道を北にむかって行き、二股に分かれた左が奥之院である。奥之院は法華経寺発祥の由緒深い聖地である。さてこの道を右に入るとその先に旧片桐邸がある。ここは電気器具販売商として産をなした片桐氏の遺族から先年市川市に寄贈された邸である。参道の清華園とあわせて市川市では「中山文化村」という名称のもとに地域に根ざした文化活動の拠点として整備活用を図っていく方針という。おおいに期待したい。
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七経塚伝説

 かつて奥之院の北の畑の中に七経塚があってその記念碑があった。
 宅地開発が進んで今はさらに北の妙正寺に碑は移設されてすでに久しい。七経塚伝説は日蓮聖人の説法を聞く女人にまつわる説話なのだが、同様な説話が各地にあり、日蓮宗本山の身延山と七面山とに関連がありそうである。
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鬼越・中村氏邸

 さて参道と国道の交差点を西に市川方向に行くとそこは鬼越の町である。国道脇に蔵造りの家がある。中村勝五郎氏邸である。中村家は中山町の旧家で初代は力士から実業に転身して成功をおさめ、二代は旧中山町町長として町の発展につくし、また若い芸術家のよきパトロンとしても知られる。東山魁夷、加藤栄三、大須賀力氏など著名な美術家が中山に居を構えたのも氏との縁によるものといえる。昭和9年の市川市制施行も氏の力によるところが多かったという。氏の胸像(大須賀力作)は中山競馬場の一角にある。
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木下街道

 中村氏邸の前から北に向かう旧道が木下(きおろし)街道である。
明治以前から成田や北総方面に向かう主要道でかつては行徳からつづいていたのである。街道をしばらく行くと深町通りというゆかしげな町になり、高石神、中山、北方、若宮と町がつづく。若宮のはずれと隣の船橋市境に位置するのが全国に有名な中山競馬場である。北方十字路というバス停のあるところである。かつてこの地域に廐舎や競馬関係者の住まいが建ちならんでいたが今は埼玉・美浦に移転し跡地が宅地・駐車場になっている。
 木下街道をさらに進めば奉免町、柏井町となるがここまで歩くのは健脚家にまかせるとして京成バスを利用するのがよい。JR西船橋駅から柏井町を経て大町方面にゆくバス路線が便利である。終点までバスにゆられて行くのも一興である。市川にもこんな田園地帯があったのだという発見がなんといっても楽しい。
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馬頭観音と龍神

 中山競馬場があるからという訳でもないが馬頭観音をひとつ紹介しよう。法華経寺参道をのぼっての第一の門・黒門の脇道を右にまがって道なりに100メートルばかり行くと道の傍らに小堂がある。馬頭観音堂である。中をのぞくと馬の絵図などが壁面いっぱいにかけてある。興味深いのは堂の敷地のひと隅にきれいな水をたたえた石鉢があり、龍神が祭られていることだ。その石碑には龍神の主なのだろうか蛇が、どちらかというと可愛らしい小蛇が彫ってある。法華経寺は高台にありここはそのふもとに位置する。だからかつて湧水があったのではないかと思われる。
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岩崎善右衛門

 湧水で思い出されるのが岩崎善右衛門氏のことである。氏は東京・有楽町で食堂を経営するかたわら社会活動家でもあり、この中山の地にすでに早く昭和初年に私立養老院を開いたのである。場所は駒形堂の後ろの道、いわゆるオケラ街道のかたわらの低地である。ここにも湧水が豊富だったといい、その水を利用して養老院の庭に大きな池をつくったという。池のまわりには四季の花木を植え、八角形の鳥小屋があってクジャクやきれいな小鳥が飼われていた。その様子は昭和14年に井上豊之助氏が描くところの「岩崎私立養老院全景」と題する水彩画によって知ることができる。太平洋戦争をへて養老院は閉園となった。身寄りのない老人のために私財を投じた岩崎善右衛門氏のことを知る人も今は少なくなっているが中山にこの人ありといってよい人である。
 岩崎氏がどのような政治的信条をもっていたかつまびらかではないが、何よりも社会正義を身をもって実践する国士的風貌がうかがわれる忘れられない人物である。
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