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北国分から矢切へ ガイドマップへ
四国八十八札所めぐりが一カ所でできる(!)海岸山安養寺。
三十三カ所の札所をめぐる行徳・浦安札所めぐり。
市川で巡礼もできるんダァ。
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石猫

 JR本八幡駅のガードをくぐり、旧行徳街道を文化会館に向かって150メートルほどいった交差点のたばこ屋の脇に、もと石屋の看板だったという大きな石の招き猫がおいてある。何のいわれもないそうだが、道行く人にかわいがられてすっかり町の名物となっている。年齢不詳、当地に人を招きつづけて半世紀以上。
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甲を祀った甲大神社

 文化会館を右手に見て進み、かぶと橋交差点を江戸川方向に100メートルほど行った右側に、大和田の鎮守・甲大神社がある。甲八幡ともいい、江戸名所図会に「その由来今知るべからず、土人或は伝へて云ふ。国府台合戦の時、某の大将の甲を祀ると…」とある。他にこの甲は、平将門、源義家、また、神功皇后三韓征伐のおりのものともいわれ、社前を馬に乗ったまま通ると必ず落馬したと言い伝えられている。
 境内にある北向道祖神には大きなわらじが奉納してある。耳・足の神様として今も地元の人々の信仰を集めているようだ。
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一本松の道しるべと延命地蔵

 昔、行徳から市川へ向かうには、今の行徳橋辺りから稲荷木稲荷神社前を通り、一本松を経て、川沿いに大和田、大洲、市川南を経て国道14号線(上総道)に出たものだった。ここ一本松は慶長年間(1596〜1615)伊奈備前守忠次が徳川家康の命で上総道の改修をした際、新たに行徳と八幡を結ぶ八幡新道を造り、その分岐点に松を植えたのが「一本松」の由来で、根本近くには、道しるべの庚申塔も昔のままで建っている。往来する人々の道しるべだった一本松も、側に京葉道路が走り排気ガスなどの影響で枯死を早め、昭和49年に伐採され、株のみが残っている。
 ここに、もと八幡3丁目の辻にあった延命地蔵がまつられている。このお地蔵さんは、以前は八幡町大芝原の行徳街道と千葉街道の交点にあり、文化3年(1806)の『水戸佐倉道分間延絵図』にも記されているが、昭和60年、都営地下鉄新宿線工事でお地蔵さんの居場所がなくなってここに引き取られてきたのだ。重さ2トンのこのお地蔵さんは旅行中の災難除け、交通安全に霊験あらたかとか。
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行徳札所めぐりの九、十番札所・雙輪寺

 一本松から稲荷木稲荷神社の前を通って江戸川方向へ向かう。ここは古くから行徳と市川を結ぶ街道で、落ち着いた町並みが残っている。しばらく行くと右手に雙輪寺への参道がある。雙輪寺は双つの輪という寺名が示すように、永享3年(1431)康信僧都開基の稲荷山福王寺が、今の江戸川放水路の中ほどにあった竜厳寺を合併した寺で、行徳三十三観音札所の九、十番で、次のような道歌が残っている。
たのみつつはるばる来たる雙輪寺
まよひの道を照らす観音
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架橋の記念碑・橋楽橋(きょうらくばし)

 田尻5丁目の江戸川放水路水管橋近くの住宅街の角にあるこの碑は、「橋楽橋」という名の橋の架橋記念碑。江戸浅草花川戸の伊勢屋宇兵衛は、田尻村の名主・喜右衛門を世話人として、行徳に96カ所もの橋を架けたらしい。行徳と江戸の深い結び付きを示す碑である。
 天保年間(1830〜1844)の江戸から成田への道を記したものに、『房総三洲漫録』がある。これによると、江戸から成田へはおよそ5つのコースがあった。その一つが江戸小網町行徳河岸から舟で小名木川・新川を通り、本行徳の新河岸で上陸し、徒歩で船橋宿から佐倉・成田へと向かうコースだった。本行徳の常夜灯から行徳街道を歩き、郵便局前で右折、寺町通りを通ってバイパス道を渡りコンビニ前を左に曲がり古い妙典の集落を過ぎると、江戸川放水路があり道は分断されてしまったが、かつては真っ直ぐに田尻へと伸びた道があった。明治末期から昭和初期にかけて利根川水系の洪水調節のために開削された江戸川放水路によって、田尻は行徳とのつながりを無くしてしまったような感があるが、この碑はかつてのつながりを伝えている。
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大鷲神社

 江戸川の土手をのんびり歩いて地下鉄東西線のガードをくぐり、高谷の水管橋先の釣舟屋の角を左に行き、法務局の方向に向かうと大鷲神社だ。『葛飾誌略』に「当村鎮守、神主磯谷宇兵衛、今より200年以上前、上総国今津より流れつきしを祭る。氏子のもの鳥を喰わず、霜月初酉の日を祭る」とあり、数年前まで一の酉には、お酉さまの祭りが行われていた。すぐ近くで生まれた明治初めの横綱・境川浪右衛門は、4斗(60キログラム)の米俵をこの神社の鳥居の上に投げ揚げ、向こう側へ走って受け止める練習をしたと言われている。
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円光大師鏡の御影・海中山了極寺

 大鷲神社近くの了極寺辺りは、かつては成田参詣の道筋の一つで、当時はこの辺りも賑わったことだろう。古いどっしりとした構えをもった家がある。
 了極寺は船橋の浄土宗・浄勝寺の末寺で、元禄4年(1691)開基。この寺にある「円光大師鏡の御影」は、『江戸名所図会』に「円光大師鏡の御影。行徳の東の海浜、高谷村、浄土宗了極寺に安ず。円光大師、鏡を照して自己の姿をうつし、画き給う御影なりといえり」と紹介されている。円光大師とは法然上人のこと。行徳十一番札所。
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四国八十八札所めぐりができる海岸山安養寺

 了極寺と隣合わせにある安養寺は、天文3年(1534)建立。柱や梁は朱で、壁は白に塗わけられた美しい寺だ。弘法大師誕生1200年を記念した本堂改修の際、先代住職が巡拝して勧請した四国八十八札所各寺の石が本堂の回廊に埋め込んであり、準四国八十八カ所霊場・はだし大師として近隣に知られている。はだしで石を踏んでお参りするとなんとも爽やかだ。境内には筆塚があり、古い筆の供養をしてくれる。行徳十二番札所。
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火中出現防火日蓮大師の像・原木山妙行寺
 
 天文7年(1538)、円増院日進上人の開創。日進は旺盛な教化力で、当時の原木村40余戸を残らず信徒にしただけでなく、周辺への布教にも努め、寺運を盛り上げたという。宝暦12年(1762)、法華経寺が火災になったおり、日法上人作の「日蓮大菩薩板御影」を火の中から取り出し妙行寺に運び、以来寺宝「火中出現防火日蓮大師の像」として広く知られている。本堂を正面に左に鐘楼、祖師堂、庫裡がゆったりと並び、裏には荒行堂や手入れが行き届いた庭園、墓地の芝生が青々として美しい。墓地奥には、寛政3年(1791)の大津波で溺死した村人の供養塔があり、111名の犠牲者の名が刻まれている。
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