2017年8

〈今やろう。災害から身を守れ〉
「東京防災・知識」を学んでおこう。
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 東京にひそむ災害は、「地震」だけではありません。「大雨」、「暴風」「集中豪雨」から「テロ」などの人的脅威まで多くのリスクが想定されます。「土砂災害」「落雷」「竜巻」大雪」「火山噴火」「感染症」まであります。
 「地震の知識」「津波の知識」「台風・大雨の知識」「気象情報」と続きます。
 では「東京の防災」から、過去の大規模災害を開いて。
 関東地震以降で大きな被害をもたらした地震を。
〇1923年 M7・9 関東地震
被害は死者・不明10万5千人
〇1927年 M7・3 北丹後地震 死者2、925人
〇1943年 M7・2 鳥取地震
死者1、083人
〇1944年 M7・9 東南海地震 死者・不明1、223人
〇1945年 M6・8 三河地震
死者2、306人
〇1946年 M8・0 南海地震
死者1、330人
〇1948年 M7・1 福井地震
死者3、769人
〇1995年 M7・3 阪神・淡路大震災 死者6、434人
〇2011年 M9・0 東日本大震災 (2015年3月現在)死者19、225人
*千人以上の死亡者が発生した地震(東京都資料)23ページの資料Aも参考にしながら。 (吉清)

風呂で本を読む人は意外に多い。自分もそうだ。集中できる。一人になれて、結構な遮音性もあり、ぬるま湯はそれなりに快適である。問題は本が水分を吸収する事。実家の風呂はまだしもマシだったが、引っ越して以降使用するようになったユニットバスは全然ペーパーメディアを読むのに適した環境ではないのだ。近くの古本量販店で100円の本を「風呂で読む用に…」と思って買ったりするのだが、いざ風呂に持ち込もうとすると、なんとなく勿体無いような気がしてしまう。どうも定額なんだから使い捨てにしようという思考にスイッチできないようで、ある意味結構な事なのかもしれないが難儀は難儀だとも思う。
そもそも自分は本を買う量が読む量より少ないために、基本的には積本が溜まって行くばかりだ。最近はkindleのセールやら定額のUnlimitedサービスやらに加入したせいで、その比率はどんどん開いてゆく。家で本を読んでいても何と無く気が散るのである。読書を始めるとどんな書籍であろうと、超集中し、自分の回りに障壁の如き空間を構築できるビブリオマニアもいるのだろうし、そういった特質を持つ人が実に羨ましい。何とか読書場所を構築したいものではあるのだが…。
(太郎)

2017年7

 

街こおりやま・編集長伊藤和」さんのごくろうさま会を、関東タウン誌会の面々で、磐梯熱海温泉『楽山』にて。(日本橋・上林さんが呼びかけた)
 街こおりやまは、昭和50年5月創刊。43年の歳月を重ね、昨年12月号で、念願の500号を発行、さらに504号が終刊号となりました。
 とくに、タウン誌にはめずらしい同人制という新しい形を制度にして、「街に小さな文化の灯・街づくり」のタウン誌をキャッチフレーズに活躍しました。
 「郡山のために、今後とも、恩返しをしてゆきたい」と抱負を語りました。
 散りぬべき時知りてこそ
 世の中の花も花なれ
 人も人となれ
 伊藤和さんは、細川ガラシャの辞世の歌を引用して、出席者へのお礼を述べました。
●私たちは、現代のスマホ文化だけにたよるのでなく、グーテンベルクによって人類に開かれたゆるぎない活字文化の社会を、大切に育てながら、これからも活動していこうではありませんか、と幹事の手締。        (吉清)

今月、取材で市川駅近くのさる会社にお邪魔した。場所自体は通勤経路である為に、非常によく知っていたのだがその路地を折れるのは初めてで、奇妙に心弾む想いになった。
普通に生きていると、自分が生活している町の大部分のロケーションというのは基本的に縁が無い。  
小学生や、もしくはもっと小さい子供なら悪戯に他人の敷地に足を踏み入れる事もあるかもしれないが(今の小学生はそういうことするんだろうか)、大人になれば、良識ゆえ自分が生活をする町と言えども接点が無い空間に足を踏み入れることは無い、いうなれば書き割りの世界だとも言える。
少し話が横道にそれるが、最近はコンピューターゲームが進化し一つの世界をまるまる再現した「オープンワールド」というジャンルがある(あるのは2000年頃からあるが)。最新のゲームエンジンは、ニューヨーク島をほぼ大体再現するようなものまであり、それはそれで凄いし、面白いのだが、現実と決定的に違うのは情報密度だ。何せ民家一つ一つ、路地の一本一本にはそれぞれ其処に暮らす人々の築き上げてきた生活がある。間仕切りの暖簾、台所に適当に置かれた調味料、道に放置された空き缶や、近所の人が置いた鉢植えなどなど。それら一つを取って其処に配置されるまでの過程は物語がある。話を最初に戻すと、取材でお邪魔したマンションからは隣家への細い道が見え、とめてある自転車や、ベランダの小物など、その情報密度の濃さにクラクラした。そういう話です。          
(太郎)

 

2017年6月

 

長雨の季節にはやくも入ってきましたね。「五月雨(さみだれ)」を。
井上ひさしさんの戯曲に「驟雨(しゅうう)」というとても面白い作品があります。やがて季節も「梅雨」のおとずれをむかえます。

 松尾芭蕉の俳句の中に
「五月雨を集めて早し最上川」
「夏草やつはものどもの夢のあと」
さらに・・・
「あら海や佐渡に横たふ天の川」
芭蕉は宇宙の造化の世界をこうして俳句の文学の中に残しました。

 さて、先立って編集仲間のAさんが長年の夢を実現させました。
「佐渡に横たふ天の川」
の発見に出掛けた話です。愛用のオートバイを駆って、佐渡ヶ島へ一ヶ月の旅へむかいました。
さてAさん、今頃は佐渡の「荒海」を目の前にして新しい発見をみつける事ができましたでしょうか。今から楽しみです。  (吉清)

 
今月、インタビューで井上綾さんに約10年ぶりに再会した。綾さんとは、在籍していた年代こそ違うものの御茶ノ水にあった文化学院の在校生として、非常に狭い範囲の内輪ネタを交わす事ができた。伝統ある学校ではあったのだが、今は建替、移築の末に文化学院自体が御茶ノ水から消滅してしまった。
文化学院には中庭があり、そこが大体思い出の全てと言ってもいい。私も在籍時にはろくに授業に出ないで、中庭、食堂、図書室、中庭、湯島聖堂、秋葉原、中庭といった感じで行ったり来たりしていた。
何と無く、同じ町にいる明大生に劣等感を感じたりしたし、まだam:pmというコンビニが存在していた。在籍していたのが山田洋次監督のシナリオゼミだったので、友達と授業をサボってよく映画を観に行った。また市川ともわりと縁があって、当時の同級生が弘法寺前のアパートに住んでいたり、真間の辺りで道に迷ったり、何故かつぎはしに幽霊が出るという話になったりと懐かしい。特に道に迷った時は、なんでこの市川はこんなに道がごちゃごちゃしているんだと思ったものだ(ちなみに、弘法寺の前に戻ろうとして、日出幼稚園の辺りの細い道まで行ってしまった。)
当時の友達は、消息不明になったり、喧嘩別れしたり、いまだに一緒に映画に行ったり、地元に帰ったり、その内一人と自分が結婚したりと色々だ。
こんな、テンプレートな当時を懐かしむというイベントが自分に来るという事に、今一現実味を感じられずに戸惑いつつも、新鮮味があって結構面白がっている。
(太郎)

2017年5月

 

神はヒトをつくった
地球・プラネットの中で。

 神は初めに人間をつくりました。そこでまず、ヒトをプラネットの中に住まわせて、じっくり考えました。
恐れ多いことですが、ヒトも神をつくりました。その、ヒトがつくった環境が、今まで見たこともないような暴力、破壊、テロ、憎しみなどの繰り返しの中で荒れています。その社会は難民を抱えてしまって、おさまらないでいる。そのほかに食糧問題、気象、貧困。このままでは、核戦争の恐怖さえも、ぬぐえない状況を呈しています。
世界平和を希求する地球プラネット市民をどうかお救いください。
この社会、プラネットの中に住まわれる貴きおひとよ、あなたの偉大な知恵とお力を今こそ我らに与えてください。進むべき光の方向を示して欲しいのです。
(吉清)

先日、外付けのHDDが壊れ冷や汗をかいた。というのも仕事のデータが大体そこに入っていたからで、何とも恐ろしい話だった。幸い2台体制で、同じデータを二つ用意してあったため事無きを得たが、なんとなくどうにかしないといけないと思っていたバックアップを真剣に考える機会になった。詳しい友達に聞いてみると「そこまで心配ならRAID(HDDを同期させて同じデータを2台同時に読み書きする)2台とかにするしかないんじゃない」と言われたがいかんせん高い。写真は溜まる一方で、現在の4TBのハードディスクもそろそろ怪しくなってきているのだが、容量の進化が停滞状態の為、買い替えのコストも段々上がっている。結局現実問題どうするか思案中である。
しかし、この仕事を始めた頃に比べると使っているツールも大分変わった(と言っても、大して変わらないじゃないか、と言われる方もいらっしゃるだろうが)。パソコンはOSはWIN2000が7と10になり、モニターは液晶になって、マウスは光学式になった。ノートパソコンはタブレットになったし、録音機器はテープレコーダーからボイスレコーダーになった。まぁ本質的に、環境のパラダイムシフトがあったわけではないのだがやはり違うものは違う。
同じ物と言えば、冒頭で味わった、あのハードがクラッシュする瞬間である。最近のハードはそれなりに耐久性があがっているとはいえ、やはり壊れる時には壊れる。特にHDDは稼働部分がある機械なのだから、理論的には、数年で必ず壊れる。先述の詳しい友人に「壊れたハードディスク何色だった?」と聞かれ「開けてみたら緑だった」と答えると、憐れみを込めて「WDの緑は一番やばいので、まぁそら壊れるわ」と言われて、次からは緑は買うまいと思った。もっとも「他のメーカを買った所で、実は中身が同じっていう事は多いけどね」と言われ、うんざりしている。(太郎)

2017年4月

ようやく春が匂いたち、市川の「まち」は桜桜の季節を迎えた。人口48万人の「まち」の匂いって、いったいどんなだろう。人の声、その暮らしぶり、鳥のさえずり、草花の香り、虫のうごめき、がきこえてきます。
 う〜ん、それが「まち」の文化度と、どうかさなるかな。
 じゃあ「市川のまちの色彩」にたとえると、何色になるのかな?イメージとして、
 「鎌倉や横須賀にたとえると?」
 「う〜ん、インディゴ・ブルー」
 「戦前から海軍の基地があった、から」
 「巨大な軍艦が海に停泊して、水兵のいる街のイメージ」
 「それなら、市川では、明治の陸軍教導団の頃から、国府台に日本陸軍があった。市川はまち中が『カーキ色』にそまっていた時代」
 「ふ〜ん、インディゴ・ブルーとカーキ色か」
 「日本中のふるさとから慰問の人がやってきて、市川の広小路や真間を中心に料亭が賑わったらしい。200人を超える芸者衆が街に出て華やいだ雰囲気の市川だったらしい」
 街の賑わいって、そうやって歴史の色になじんでいくんですねぇ。
 もうすぐ、春、季節とともに。(吉清)

カメラのレンズにハマってしまう事を「レンズ沼」と言うらしい。昨今、カメラ本体はデジタル機器としての側面が非常に強くなり、どちらかと言えばパソコンに近いものになっている。それ故、新機種は、振れ幅はあるものの旧機種の上位互換となっており、新しい物が出るたびに古い物の値段は基本的に下がってゆく。(最も、デジタルカメラ黎明期を過ぎた今、旧機種のミドルクラスであって一般使いするには十分であるとは思うが)。ライカやハッセルなどの特別な機種を別にすれば、メーカーのフラグシップ機でも数十万。(キャノンのEOS-1D X Mark IIが70万前後である)高いと言えば、それは自分には買えないレベルで高いが、高嶺の花という程ではなくなっている気がする。そして、値はいずれ崩れて行くのである。
一方レンズは、数百万の物もあり、更にその光学装置主たる機能の為、あまり値下がりは無い。さらに一本買うと更に欲しくなる正に泥沼である。結果的に本体のオプションという位置づけでありながら、買い始めれば本体より金が溶けていくという人も多いのではないかと思う。
現在スマートフォンの撮影機能は年々向上しており、コンパクトデジタルカメラの市場は氷河期を迎えていると聞いた。それに比べて、一眼はある程度堅調であると言う。`道具aとしての側面が強い撮影機器(普通の人が旅行などに行ったときちょっと使っている機種。二昔前はオートフォーカス、写るんです、一昔前はコンデジ、そして今はガラケー、スマホ)と違い、趣味の側面が強いという事なのだろうか。そう考えればレンズに対する物欲は、必要性より欲望が優先しているという気は、すごくする。(太郎)

 

2017年3月

僕は山本夏彦さんのコラムが大好きです。言葉につまったときに使わせてもらいます。その世相を鋭く切る表現は現代にぴったりです。それでは。

*いきり立つものと争うのは無益である。
*何用あって月世界へ?月はながめるものである。
*昔の巡査は、湯屋の帰りに立小便している男にあうと、すれちがいざま、そんなところで手ぬぐいを絞るなよと。
*ひとはどこまで無実か―悪事が露見するまでは無実である。
*大事件が起ってしばらくして一件落着すると、解説する名士が必ず登場する。この結末は初めから分かっていた、といわんばかりに。
*知っていたなら早く言え。
*犬を鎖でつないでおくと、放してくれと泣き叫ぶから放してやると狂喜して飛び出す。考えてみれば急いで行くところなんぞありはしない。
*私は袖の下に近いものは必要だと思ってる。世間の潤滑油なんだ。
*汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす。
*かいつまんで言え。
*ジャーナリズムというものは所詮、堅気のすることじゃない。
*申し分のないことを言うひとたちはうろんですよ。
*今も昔も出版は文化事業だと、客が言うのではなく出版社自身が言う。
*テレビのキャスターは事故があるとすぐ痛ましげな顔ができる。
*同類は何百人集まっても一人。
*夜はねむるものである。
*猫なで声で育てれば子供は真人間になるとでも言うのか。現代の親子の惨状を最もよく知りながら親どもはなお猫なで声を出す。
山本夏彦名言集より(吉清)

本月は、民俗学者の常光徹さんにお話を伺った。殆ど個人的興味から端を発した取材依頼ではあったのですが、快く引き受けてくださいました(ご縁を作ってくださった文学ミュージアムさんもありがとうございました)。私が常光さんの著作とであったのは、中学生の頃で丁度学校の怪談がブームになった頃だった。理科の時間に「テケテケ」の話をクラスメイトから聞いた私は、一連の話の奇妙な魅力、バリエーションの豊富さ、そして学校での出来事という身近さから魅了された。折しも心霊ブームが続いており、フォトレタッチソフトなどが無い時代故心霊写真に慄き、現代の語り部たる稲川淳二氏の話を聞きまくったわけだが(余談だが、稲川氏も、ライブではバリエーションを客層に合わせて変化させるという。インタビューで伺った現代化の一手法だったのだな、と納得)。思えばあの頃は今ほど世間が怪異に醒めておらず非常に楽しい時代であった。遊園地は、一緒に我を捨てて楽しめる友達と行けば楽しい。そういう事であろうと思う。
(太郎)

2017年2月

昨年、2016年はいろんな事件や話題に満ちた一年であった。なかでもビックリしたのは、突然起こった鳥インフルエンザが相次いで確認され、国の特別天然記念物のトキや鳥類の施設でも感染を防ごうという動きでほんろうされた。ただちに、鶏55万羽が殺処分された。ヒトと動物の間、そのすさまじさは我々人間にしかとりえない。このことで、ケビンコスナーが北軍中尉を演じた映画を回想した。『ダンス・ウイズウルブス(狼と踊る男)』、インディアンの目で人間のさがを鋭く語る。
 夜中に、地ひびきをたて大移動するバッファロー数百頭。翌朝その後にるいるいとした毛皮を剥がされたバッファローの死骸が映像に映し出された。
 インディアンの長老がつぶやく。「我々は、この動物の肉を、生きるために頂く。しかし、白人は毛皮や角をムダに捨ててしまう」
 今度の鳥インフルの問題は、食物を毎日のように食す私たちにも問われている。
●笹川伸三郎さんの連載「天山絵図ぶらり散歩」が今2月号(60回)をもって完結いたしました。読者の皆さんには、市川の戦前、戦後のこのまちの様子がどんなだったかをひもとき、さらに深く識る上でもお読みいただきたく思います。
 笹川さん、素晴らしい連載をありがとうございました。  
(吉清)

本月は中山在住の仲澤さんに、取材させて頂いた。小誌の表紙を描いてくださっていた梶山俊夫先生のお宅に伺う事や、また法華経寺やその他のロケーションも豊富でそれなりにどんな町かを知っているつもりではあった。しかし今回仲澤さんと話をしながら、中山の町を歩くうちに、私の下総中山観に時間の要素が明確に立ち上がってくるのを感じた。
以前畑が多かったという中山だが、仲澤さんが、町のご老人から聞いた畑の洗い場があったという公園や、畦道を基礎にした路地。また旧軍が戦争末期に通そうとした幅広い道路など一人で来ていれば、なんとも思わずに通りすぎてしまったであろう場所が満載だった。こういう地域の歴史や場所を実感を持ってしる為には、やはり人から話を聞くことが一番だとは思うが自分には中々難しい。ハード(町並み)が失われてゆくのならとりあえずソフト(人の記憶)の中で補完する以外に無いのであろうが、現代社会にあってはそれもままならないようだ。
(太郎)

【お詫び】 1月号47頁「あずさ企画」CD「愛と一緒に」を「霧と一緒に」に訂正いたします。

2017年1月

宇宙の記憶

 無のゆらぎが有を生み
宇宙は生まれた
その 天上の深海に
魚たちが棲み
進化をとげて
混沌のさまを記憶にのこした
ある時 魚の一尾が
水の地球をめざして跳ねた

 時が刻みはじめた瞬間
文・吉清英夫

 私の詩では、あるとき魚の一尾が、水の地球をめざして跳ねた「時」が刻みはじめた瞬間と記しました。
きっと、チックタック、チックタックと今もその刻みは、つづいているのでしょうか。
古代エジプトでは、ナイル川が時間の観念をはぐくんだといわれます。ナイル川の氾濫が周期的におこって、肥えた土地ができて、いろんな作物が収穫できた。しかしエジプト人たちは、このナイルの氾濫を見て「時間」を知ったのではなく、どうも、ナイルが氾濫する周期と、シリウス星が東の空に現れるという、もうひとつの不思議な周期が一致して起こり、ぶつかりあうことが大事なことだった。
そのとき、ちょうどナイル川が氾濫した「時」の裏側にあった「一対」の繰返し周期がうまれた。これが「時間」の発生ということ。

チックタック、チックタック、音と時が一体となり、今市川のまち中も師走の忙しさ真っ最中を味わっている。 (吉清)

 

私が子供の頃のお正月は、今より静かだった記憶があります。正月ならではの静謐さというか、空気といいますか。三が日まで基本商店が休みである為、やる事はありません。また友達とも遊べない為に家で過す事になります。(親戚は祖母がいた我が家に来る方式だったため、出掛ける事はありませんでしたし、初詣は大概午前1時辺りから並び、朝には戻ってくるパターンでした)
斯様な次第で、正月は全然面白くない箱根マラソンや―今では何故か心落ち着く番組になりましたが―芸能人が馬鹿騒ぎをする正月特番、そして大晦日から続く12時間位の時代劇(これは大概忠臣蔵でしたが、年が進むにつれて宮本武蔵になったり、他の人になったりした覚えがあります。起承転結が殆ど無いので基本的にはあんまり面白くないんですよね。)などを惰性で見つつ、貰ったお年玉を数えつつ、新聞の折込チラシの新年玩具大売出しをチェックし、お節料理に飽きつつ、玩具屋が開く4日を待つわけです。私は計画性の無い子供だった為、一気に使っていた覚えがありますが、それもハレの日ならではの陶酔感がありました。(お年玉に関しては、子供の頃天から授かった恵みかと思っていたら、年を食ってから未来からの借金だった事に気付かされて頭を抱えましたが、その当時の散財は現在では考えられない程愉しく、只管喜びのみがあり、楽しかったので良い使い方だったと思います。)
現在は1日から玩具屋、というか量販店を初めお店も開いていますし、街も活動をしています。今年のお正月は短いようですが、皆様どうぞ良い年をお迎えください。
(太郎)